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2008年03月25日

ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガローの生い立ち

ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー (Jean François de Galaup, comte de La Pérouse, 1741年8月23日 - 1788年?)は、フランスの海軍士官及び探検家。太平洋における遠征航海の指揮をとり、最後はオセアニアで消息を絶った。

フランス南部のアルビ近郊で生まれた。ラ・ペルーズというのは一族の所有地にちなんだ姓である。イエズス会のコレージュで学び、15歳でブレストの海軍学校へ入った。七年戦争に従軍し、北アメリカでイングランドと戦った。戦争初期にフランス領の海岸で交戦し負傷、投獄された経験がある。西インド諸島でイングランドのフリゲート艦エアリアルを打ち負かして、准将の位となった。1782年8月、彼はハドソン湾岸の2つのイングランドの砦を攻略したが、生存者たちに食料と弾薬を与えて解放した。翌年、故郷の家族は彼にルイーズ・エレオノール・ブロドーという、中流の若いクレオール女性と結婚させた。彼はルイーズとフランス島(現在のモーリシャス島)で出会っていた。


探検
1785年、国王ルイ16世よりラ・ペルーズは太平洋探検を命じられた。彼が率いるのは、それぞれ500トンのフリゲート、ブッソール号とアストロラブ号だった。ハドソン湾への奇襲作戦でラ・ペールズの部下だったド・ラングルがアストロラブ号の艦長に任じられた。この航海への同行を申し込んできた者の中に、16歳のコルシカ人ナポレオン・ボナパルトがいた。彼はパリの軍学校出身で予備のリストに掲載されていたが結局は採用されなかった。当時、ナポレオンは自身が数学と大砲に通じていることから陸軍より海軍に興味を抱いていた。

ラ・ペルーズは、イングランドの優れた航海者ジェームズ・クックがしたように、太平洋の島を巡ろうとしていた。114名の乗員のうち10人が科学者だった。天文学者であり数学者のダジェレ、地理学者のラマノン、植物学者のラ・マルティニエール、医師、3人の自然科学者、そして3人の絵描きドゥシェ・デ・ヴァンシーと、プレヴォスらである。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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